ギャンブル

勝たない楽しみ

totoをネット購入するようになってもう3年になる。毎回数百円しか買わないが、そのうちの5円でも10円でも未来のサッカーにつながればと思っている。どうせ当たらないと思ってるから、1等なんか当たったら地元の弱小J2チームのスポンサーになりたい。適当なロゴ作ってユニフォームの目立たないところにでもつけてもらうとか。
しかし、このtotoの運営組織がだめで”寺銭とりがマイナスしてどおする!”って怒りがわく。昔の街のチンピラが隠れてやってた競馬のノミ屋だってそれなりに儲かってたのに、文部科学省天下り連中の無能さにあきれるばかり。要するにちょっとこざかしいチンピラ連中のほうが頭がずっと上ってこと。

一時若い連中と麻雀を楽しんだ時期があった。この連中がほんとに強い。”勝ちたい!”ってオーラに圧倒されてぼこぼこに負けてた。いくら冷静になっても負けるのが悔しかった。熱くなって負けるならしょうがないけど、ベストな精神状態でも負けてた。昔有名なボクシングのチャンピオンが「あなたはもう金も名誉もあるのになぜ戦うのか?」と問われて、「私はまだまだハングリーだ、同時にアングリーでもある」と答えた。何かもう一つの”負けたくない!”というものを持たなくてはだめなのだろう。
私が若いときに初めて行った場所の麻雀で大勝ちしたときがあった。”楽しくやれればいいや”と思ってたのに、ほんの些細な手に振り込んだ時に「まだまだ若いな」と言われてカッとして、気がついたら大勝ちしていた。その夜私に役満を振り込んだ1人は目も合わせずに帰り、もう1人は空の財布放り出して寝込んでた。
もう1人の人はその界隈で名手と有名だった人。でもその晩はあまりの私のすごさにじっとして負けを抑えてる感じだった。その人が私に「コーヒー飲もうや」とインスタントコーヒーを作ってくれた。
麻雀が終わった後の茶飲み話になると、「あの時のあれさ」とか「あいつのあの上がりさあ」って内容の話になる。
その人がコーヒーすすって煙草に火をつけて口を開いた最初の一言は
「覚えときな、勝たないっていうのも1つの手なんだぜ」
とにっこり笑った。
それから差し障りのない世間話してその場を別れた。
しばらくの間勝った喜びに浸ってた私がその言葉の意味を痛感するようになったのは数ヶ月後だった。
”勝たない”というのがいい手になるときもある。それで楽しむのもいいものだった。

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